ヤマガタンver9 > 館長の写真日記 令和7年2月20日付け

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▼館長の写真日記 令和7年2月20日付け

 さてさて、この山形にもインバウンドの波が訪れていまして、山形県は最近、インバウンドの伸び率が日本一とのことです。そもそもこれまでが少なかったこともありますが。山形市の蔵王もこの冬はインバウンド様ばかりで、いままでにない光景を目の当たりにします。蔵王は昔から外国のようなスキー場と言われていて、それは山形弁が県外の方に通じないからですが、今は本当に外国語ばかりが聞こえてくる感じです。スキーウエアなどを着用することもなく街歩きの恰好のまま、ましてスキーもスノーボードも持たずに、朝からロープウェイ駅の外に長い行列を作り並んでおられます。ネットのライブカメラでもこの様子は見ることができますが、乗車券は午前中に完売という日々が続いているようです。夜間は樹氷がライトアップされ(2/23まで)、ロープウェイから観ることができますが、最近人気なのは新型雪上車「ナイトクルーザー号」に乗車し夜の樹氷を間近で体験するという「樹氷幻想回廊ツアー」です。当日のネットのみの予約で、受付開始とともに回線がパンク状態と表示されることがほとんどです。
 やはりと言うか、この蔵王に関係する最上義光の逸話もありまして、温泉街から酢川温泉神社に続く参道には「最上義光の力石」というものがあります。そこには、「義光が16歳(永禄4(1561)年)の時、高湯(蔵王温泉)に湯治にきた際、十数人の盗賊に囲まれた。しかし義光は単騎で盗賊に切り込み、その頭領を殺傷し数人に重傷を負わせた。その武勇を聞いた父の最上義守は最上家家宝「笹切丸」を与えた。また、義光は家来達と力比べをし、誰一人として持ち上げられなかった重さ約50貫目(190キロ)の大石を軽々と持ち上げた、と伝えられているのがこの力石である。」とあります。実は、襲ってきた盗賊を追い返し、父から笹切丸を給されたことまでは、最上家の家臣が記した義光の評伝「最上記」に記述されているのですが、家来達と力比べをした力石のことについては文書的には定かではありません。


「最上義光の力石」
山形市観光協会HPより

 とにもかくにも、何か目立つ石があれば、それにかこつけて物語などを付け加えたくなるのが世の常でして、例えば芭蕉の「奥の細道」でも有名な「殺生石」などもそのような類ではないかと。「殺生石」は国指定名勝ともなっており、近年、この石が割れてしまい話題になりました。那須町HPによると、「平安の昔、帝(みかど)の愛する妃に『玉藻の前』という美人がいたが、これは天竺(インド)、唐(中国)から飛来してきた九尾の狐の化身であった。帝は日に日に衰弱し床に伏せるようになり、これを陰陽師の阿倍泰成が見破り、上総介広常と三浦介義純が狐を追いつめ退治したところ、狐は巨大な石に化身し毒気をふりまき、ここを通る人や家畜、鳥や獣に被害を及ぼした。これを源翁和尚が一喝すると、石は三つに割れて飛び散り、その一つがここに残り「殺生石」と伝えられている。」とのことです。
 殺生石のある付近一帯は、硫化水素などの有毒な火山ガスが絶えず噴出し、鳥獣が亡くなることもあるためこのような伝名称となっているとのことですが、芭蕉も「奥の細道」では「石の毒気いまだ滅びず、蜂蝶のたぐひ、真砂の色の見えぬほど重なり死す」と記しています。
その殺生石が2022年3月5日、ほぼ中央から刃物で切ったように真っ二つに割れた状態で見つかり、SNSでは「封印されていた九尾の狐が解放された」などの書き込みがあったそうです。地元では早速、しめ縄を交換したそうですが、以前に比べて大幅に観光客が増え、この割れた殺生石をモチーフにした様々なグッズまで販売されているそうです。地元の人にとっては、不吉どころか吉となったとのことでした。
 「奥の細道」とくれば山寺のお話も。山寺は正しくは宝珠山阿所川院立石寺(りっしゃくじ)といい、寺名には「石」の字があります。そこで「立石寺」という名の由来を山寺芭蕉記念館のA学芸員に尋ねたのですが、それはわからないと。その地形はまさに石が切り立っているような場所なので、見た目そのままに「立石寺」としたのではとの安直な推測はできるのですが。ちなみに立石というと東京では「のんべえの聖地」そして「せんべろの街」こと葛飾区立石(たていし)が有名ですが、その地名は立石様と呼ばれる石があることに由来しており、立石寺とは関係ないようです。
 とにかく「立石寺」の名称の由来は、とりあえずはわからないままですが、慈覚大師が山寺を開くにあたり、大石の上でこの地方を支配していた狩人磐司磐三郎と対面し、仏道を広める根拠地を求めたと伝えられていて、その石は「対面石」として現在も山寺駅から立石寺に行く途中にあります。その「対面石」に隣接して、同じ名の眺望のいい蕎麦屋さんがあり、ここは「せんべろ」とはいきませんが、蕎麦で一献などはいかがでしょうか。いや、屋外ならば冬の山寺を背景に、名物の「玉こん」をあてにカップ酒でなら「せんべろ」もいけるかもしれません。なかなかハードではありますが。


(→裏館長日誌に続く)
2025/02/20 11:00 (C) 最上義光歴史館
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