▼熊野大社の三獅子2020/04/23 08:41 (C) 獅子宿燻亭8
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宮内の熊野大社に現在例祭で用いられる獅子頭の型の他に、詳細不明の三頭が所蔵されている。その三頭の内、
一対の獅子頭は神社の拝殿に展示されていた時期もあったが現在は三頭共に土蔵に格納されている。
手前の二頭が一対
応永11年(1404)長井市成田の観生院(廃寺)から御大般若経600巻と獅子頭が宮内の熊野大社に譲渡され、
総宮神社型の獅子を想像し調査したが不詳だった。その三獅子の型の形は独特で、塗りは唇の朱と目の黒で三獅
子の一頭が作風が二頭と微妙に異なる。一頭が古く、その獅子をモデルに二頭を制作した様に思われる。眉は二
つ渦巻で鼻の穴が水滴型、上下の大きな牙は尖らせず切り揃えた珍しい型である。そして脳天に円盤があり、熊
野大社の例祭で用いられる獅子頭の型と唯一共通している部分である。
川西町東大塚羽山神社所蔵の獅子頭
川西町高山三島神社の獅子頭
その型の獅子を彫り続けたのが、宮内の菊人形を創始した菊地熊吉氏である。最近「菊地格堂」と記された獅子
頭を発見しているが、熊吉氏の作る獅子頭にはほとんど記名が残されていない。獅子頭は南陽市や川西町の神社
や個人蔵で数多く見られ、熊野大社の七夕で拝殿で展示される獅子頭の大多数に及ぶ。何故ゆえに熊野大社の本
獅子ではなく三獅子の獅子のデザインに執着したのか・・職人気質の熊吉氏ならではの想いが有ったのだろう。
三獅子風の小関庄左衛門の作と思われる獅子
熊野大社七夕の獅子頭展には熊吉氏の年代より先に小関庄左衛門の獅子頭の存在があり、熊吉氏に大きな影響を
与えたと思われる。庄左衛門氏作の獅子も三獅子の作風を匂わせる部分が見られ、三獅子の一対の作者の可能性
がある。では三獅子の一頭の作者は?と資料を洗い直してみると幕末に活躍した「米沢の仏師 桂八郎」の作風が
語ってくれた。仏師 桂八郎は米沢市関根の羽黒神社の三獅子を調査したときに発見した仏師で、所蔵の二頭の作
者と思われる。記名が残され、慶應二年(1866)の作とあり、その中の「柳町」が姓なのか地名か現在調査中で
ある。
桂八郎氏の作は、米沢笹野観音をはじめ多数確認され、川西町高豆蒄(こうずく)一ノ宮神社の獅子頭 文久元年
(1861)の獅子頭(作者名無し)には桂八郎の作風と共に熊野大社三獅子の作風も見られる。
川西町高豆蒄 一ノ宮神社所蔵の獅子頭
今の所、熊野大社の三獅子の調査は外観だけであり、今後内部を調査すると判明する可能性がある。
関根羽黒神社の獅子に残されていた記名には大仏師 桂八郎は二十歳でこの獅子頭を作っている事が分かる。人生5
0年の時代と言われる時代では珍しいことでは無いとは言え、傑出した素晴らしい才能を感じる。