▼中津川小屋の彫り師達2020/03/11 09:05 (C) 獅子宿燻亭8
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太田康雄さん作の姪御さん所蔵の獅子頭
飯豊町中津川小屋地区で渡部 亨氏が本格的に獅子頭の制作を始めたのは昭和40年代からである。
昭和48年5月発行の「広報いいで」の表紙に亨氏制作の獅子頭の写真が始めて掲載されている。し
かし、その獅子頭の型は稀な様式で、需要の多い飯豊や長井の黒獅子では無く、獅子頭を制作する
きっかけとなった小屋地区の栂峯(つがみね)神社の幻の獅子頭のスタイルではないだろうか。情
報元は小松の詳しいオジサンだが、まだその獅子頭の存在は確認できない。
先日、中津川公民館長の伊藤さんに赴いて二人の獅子彫りの情報をお聞きした。そして渡部さんの
仙台の息子さんと連絡が付き、そして太田さんの姪御さんとお会いすることが出来た。太田さんの
姪御さんはウチの店に何度か来店されていて、私の事はご存知だったのでスルッと一気に話が通っ
てしまった。
飯豊町中津川小屋の獅子彫り師 太田康雄さんは昭和元年(1926)生まれ、平成19年4月に81歳
で亡くなっている。太田さんは小屋地区の堂滅沢林道入り口に家があり、七人兄弟の五男で、昭和
50年康雄さん49歳頃から四男の昭作氏の獅子彫りを真似て獅子彫りを始めたという。そもそも父、
金司氏が指物大工で木工の他に鍛冶屋も手掛けたり、三男も大工という環境があった。もちろん先
駆者の渡部さんの影響も大いにあっただろう。更に、米沢に販売店を構えていた中島屋太鼓屋さん
も近くの古民家を借り、太鼓の製造を行なっていた事から当時の小屋地区は木槌や手斧を振るう活
気に満ちた音がこだましていたのだろう。太田さんは以前、山で伐採した木材で炭焼きも行い、あ
る時水車小屋で足に大怪我をしてから獅子彫りに転向したという。
丸山家から小屋地区を眺める
小屋集落は古来より木地師が多く、飯豊山麓の森林資源に囲まれ木彫りの材料も豊富で、豪雪に閉
ざされた冬仕事にも丁度良い。臼や杓子などの様々な生活木工品を数多く生産した。康雄さんは雑
貨商も兼ねながら独学で獅子頭の腕を磨いた。娘さんが福島市に移り住み、家を建てる計画の際小
屋の自宅を売却したが、一旦長井市九野本大屋敷の四男昭作氏宅の物置に獅子彫り小屋を建てて四、
五年制作しその後、福島市の新宅に移住したという。九野本大屋敷は飯豊町と長井市の界にあり、
以前その地区で獅子舞を復活した事があり獅子幕の前幕を制作させてもらった事があるが、太田さ
んの話は記憶にない。
移住してから渡部亨さんが平成4年亡くなり、晩年の平成19年まで飯豊町や長井市の神社の獅子頭
の修理や新調を数多く請け負う様になった。姪御さんの話に依ると康雄さんは昔ながらの職人気質
で一本気、親戚兄弟達は獅子頭の販売協力もさせられたという。姪御さん宅にも康雄さん作の赤と
黒獅子一対の獅子頭が有ったが、後日黒獅子はお祝いに贈呈し赤い獅子だけを見せて戴いた。赤と
黒獅子一対を贈呈するというパターンは何故か渡部 亨さんも飯豊町へ贈呈した獅子一対や小屋の
丸川 実氏宅などに見られる。
「広報いいで」で取材した昭和52年の写真には、渡部さんと太田さんの獅子彫りの写真が一緒にあ
り、小屋で、お二人が獅子頭制作に励んでおられた様子が伺える。一時期、太鼓の中島さんも加わ
り、お互いに影響し合い切磋琢磨を重ねておられたのだろう。獅子彫りを依頼しに長井や飯豊から
小屋に訪れたという話を今でも聞く事がある。その様子が、懐かしいセピア色の画像で目に浮かぶ
様である。