▼シンポジウム「獅子舞と修験と熊野信仰」2018/09/20 08:29 (C) 獅子宿燻亭7
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来たる10月20日と21日の2日間に渡り「獅子舞と修験と熊野信仰」のシンポジウムが開催の予定だ。
回覧板で回ってきたのでご紹介しよう。
僭越ながら私も少しお時間を戴き、「置賜の獅子頭の変遷」と題して講演の予定である。
その準備をしている最中だが、総宮神社略史を改めて調べていると、次々に歴史的な興味深い発見があり
置賜の獅子頭まで辿り着けない。
例えば、神社所蔵の最古の獅子頭として「寛文11年改」と記名のある獅子頭・・・。複数の塗替えがなされ
ているが、新調した時期はいつ頃なのだろうかという疑問が浮かんでくる。また一体誰が奉納したのか?
例えば寛文11年(1671年)から80年遡ると卯の花姫の父である片倉小十郎(景綱)が34歳。
君主の伊達政宗は24歳。伊達政宗は天然痘に罹り、右目が飛び出していたという。
目が飛び出すというと、総宮神社の獅子頭も左目が飛び出している。但し左目が・・である。
伊達政宗四歳の頃に、片倉小十郎の手によって天然痘の影響で飛び出した左目を摘出したという伝説があり
何か、獅子の右目と繋がる話ではないか。
そこで閃いた。発想の転換で総宮の獅子の右目がそもそも普通の状態の目で、右目が萎んで失明した様相なのでは
ないだろうか?
そう仮定し脚色すると、片倉小十郎が君主である独眼竜 伊達政宗の忿怒の表情を獅子頭に見立て作らせ総宮神社に
奉納させたのではないか? 独眼竜とは後年つけられた渾名なのだが、卯の花姫の龍神伝説のバラのトゲの怪我で
左目の視力を失った話にも近い。
そんな空想を秋の夜長考えていると・・・遅々として準備が進まないのだ。
講演まであと一ヶ月・・最上義光公から拝領になった和田幸太夫家に伝わる獅子頭に付いても進展があり
近々ご報告できるかもしれない。