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▼☆中央地区史跡案内板(37)〜上米蔵跡

☆中央地区史跡案内板(37)〜上米蔵跡/
 前面の畑はむかし米沢藩上米蔵の置かれた所である。上米蔵とは藩の
年貢米を収納する蔵のこと。
 元禄7年(1694)、京都の豪商 西村久左エ門の力で、白鷹町黒滝から
下流の岩盤が開削され置賜・村山間の航路が始めて開かれた。はじめ
西村が航行権を持って藩の米を酒田・日本海回りの船で江戸へ送って
いたがのちに藩の直営事業となって幕末まで続いた。
 通船工事完了後、米蔵を建てるためこの場所約4200平方米を無税地と
した。幕末の絵図によると、蔵は三棟で第2・第3棟の間に竹梁場1棟が
あり、取次ぎ廊下でつながっていた。ほかにお蔵守の住宅・馬屋・小屋
が付属していた。
 明治7年 民間に払い下げられ、やがて解体されてしまった。この場所
はまた御陣屋とも呼ばれていたものであった。

昭和57年度設置。平成2年度、平成11年度修復。(長井橋左岸のたもと)


2012/03/15 18:37 (C) 長井市中央地区公民館
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