▼イザベラ・バードの通った道(山形県川西町編)その2 小松2016/02/21 22:37 (C) Atelier Li-no
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越後街道は数々の峠が待ち受け、その険しさは「十三峠」と称され最後が、諏訪峠(峠の由来は峠の麓にある『諏訪神社』に由来する。これは、諏訪湖のほとりにある信州一の宮諏訪大社の分社として奉遷されたのがはじまりで、和銅年間(708〜715)の創建でこの神社から諏訪峠となった)自分は『眺め峠』がなじんでいる。この峠の上には清水が湧いていて屋号を(峠)とした『峠茶屋』があったそうです。時代の流れとともにお店をやめ峠から麓に降りたとのことです、その家は八島家で現在もあります。昭和42年羽越水害のときまでは他に家がない一軒家ということでした。当時の写真があったら掲載します。現在調査中です。 峠の道は現在の舗装道路より下で現在もある堤の横を通っていたそうです。今は八島家の他に、昭和42年当時、水害で家を失った川下の数軒が集まった家並みになっています。その先には若松観音があり、その分岐左にある細い道、それは諏訪神社の参道に向かう道になり、バードはそこを進みます。 昔若松観音は峠の頂上にありました。それは上杉家が会津から米沢へ減封に伴い佐藤作兵エが飯豊町中村、その後、小松村へと移り、観音さまも「観音山」に遍座された。 しかし、山頂という不便さで現在地へ遍座した。置賜三十三観音の第十二番札所で弘化3年の記録も見られます。2016年2月普通なら数m雪があるのに本年は特別雪が少ない、記念にと2016年2月19日あえて雪の中参道まで歩いてみましたが旧道は除雪してないようです。 写真は観音様前の旧道から諏訪神社の鳥居前までです。