▼ぢめんから、ようやっと、はな。2015/03/09 08:28 (C) やまがたでの日々の暮らし・自然・風景
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山形市郊外:田んぼ道の脇の地面から、よーやっと、花の便りです。
犬っ子ケンタ(兄9歳)も、お陰さまで、相変わらず元気です。
朝の散歩コース脇では、ネコヤナギが膨らんで、春を告げています。
当Blogで、毎年同じ事を書いてしまうのですが、
春って、「待ち遠しくもあり、待ち遠しくもナシ」・・・である。
春を待ち遠しく思う事は、おそらく誰しも同じだろうけども、
「ゆく冬を惜しむ」というか、
多分、雪の多い当地の様なところで育まれる感覚というか、
思考パターンなのかも知れないが、
一言でいえば、冬って「胎内回帰」みたいなモンなのである。
確かに、冬って、現象的には、「枯れ」、「死」とかという事もあるけど、
再生に向かっての、「胎内回帰」とか、「サナギ状態」かも。。。
おそらく、それって、森敦の小説「月山」に出てくる、
あの、「繭(まゆ)」・・・のニュアンスに近いかも知れないなぁ。。。
翻って、もしかすると、春って「痛み」かも知れない。
新芽は「鋭い」し、日光は「刺す(射す)」し、山菜は「苦い」し・・・などと、
季節は既に移ってもう春だというのに、妙に往生際が悪い自分に気付く。。
さてさて、味わいの世界で言えば、「春は苦味」だそうである。
当方、いくら還暦とは言え、「食べ物」の話になると<ゲンキンなモノ>で、
「フキノトウから始まるこれからの山菜シーズンが楽しみである。」などと
すんなりと「結び」たくなる。