ヤマガタンver9 > ぢめんから、ようやっと、はな。

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▼ぢめんから、ようやっと、はな。

ぢめんから、ようやっと、はな。/

山形市郊外:田んぼ道の脇の地面から、よーやっと、花の便りです。

 

犬っ子ケンタ(兄9歳)も、お陰さまで、相変わらず元気です。

 

朝の散歩コース脇では、ネコヤナギが膨らんで、春を告げています。

 

当Blogで、毎年同じ事を書いてしまうのですが、

春って、「待ち遠しくもあり、待ち遠しくもナシ」・・・である。

 

春を待ち遠しく思う事は、おそらく誰しも同じだろうけども、

「ゆく冬を惜しむ」というか、

多分、雪の多い当地の様なところで育まれる感覚というか、

思考パターンなのかも知れないが、

一言でいえば、冬って「胎内回帰」みたいなモンなのである。

 

確かに、冬って、現象的には、「枯れ」、「死」とかという事もあるけど、

再生に向かっての、「胎内回帰」とか、「サナギ状態」かも。。。

おそらく、それって、森敦の小説「月山」に出てくる、

あの、「繭(まゆ)」・・・のニュアンスに近いかも知れないなぁ。。。

 

翻って、もしかすると、春って「痛み」かも知れない。

新芽は「鋭い」し、日光は「刺す(射す)」し、山菜は「苦い」し・・・などと、

季節は既に移ってもう春だというのに、妙に往生際が悪い自分に気付く。。

 

さてさて、味わいの世界で言えば、「春は苦味」だそうである。

当方、いくら還暦とは言え、「食べ物」の話になると<ゲンキンなモノ>で、

「フキノトウから始まるこれからの山菜シーズンが楽しみである。」などと

すんなりと「結び」たくなる。


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