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▼母袋街道120周年

母袋街道120周年/
忘れている方もいるでしょうが、ぼくは去年から玉野地区の母袋集落に住んでます。


去年の話になるのですが、


今回は母袋街道120周年式典の話しです。


一昨年から母袋は隣町である宮城県加美町の西小野田地区との交流を始めました。


単純に隣町だから仲よく交流していきましょう!というものです。



そこで今年は母袋と西小野田をつなぐ国道347号線(母袋街道)が120周年を迎えるということから両地区が協力して式典を開く運びとなったわけです。


しかし母袋と西小野田地区には大きな違いがありました。


一つの集落と一つの地区の違いです。


式典の話しも大きく盛り上がっていき、母袋だけではできないものになっていきます。


そこで協力してくれたのが母袋集落がある玉野地区のみなさんでした。


ここで交流は地区と地区になりました。


それでも母袋区長である和平さんの責任感は強く、式典における準備は母袋が中心となって進めていきます。


式典のための石碑は母袋の手作りです。和平さんを中心につくりました。



母袋の長命水は晴天続きで水量不足でしたが、人足で水量確保の施工をしました。



かあちゃんたちは料理の準備も前々から集まって役割を決め、準備しました。


当日の段取りや中身は玉野公民館を中心に地区内の区長さんが何度も何度も集まり、話し合い決めていきました。


その際、「母袋が始めたことだから母袋がやればいい」そんな言葉はひとつも出ません。


「これは玉野地区のことだ」と親身に話す玉野地区の区長さんたちの団結力と寛大さに僕は感動しました。


母袋から始まった交流は大きな流れになって地区と地区をつなぐものになりました。


学校の体育館での開催を予定すれば天候に左右されず準備もスムーズでしたが、この話しが初めて出たときの県境でするという決意の元、晴天であれば宝栄牧場でする部分は絶対に曲がりませんでした。



そして当日、あいにくの雨模様。


前々日に準備した宝栄牧場の会場は前日にわらわら撤収しました。


残念な結果でしたが、



最初から体育館にすればよかったということではなくリスクはあっても主旨を理解し、玉野地区が一つにまとまったことに大きな意味があると思いました。


第1部、雨予報でしたが県境での式典の間は雨が降ることなく無事に終わることが出来ました。


そして第2部の玉野小学校体育館での郷土料理の共演やアトラクションになると外は大雨。


天気もよく持ってくれました。


母袋と玉野食会と西小野田地区のお母さんちが作ったそれぞれの郷土料理が並ぶ中、玉野の出し物が催されました。



お互いの郷土料理を食べながら交流会開始です!



玉野地区のおかあさんたちの踊りでスタートしました。ズンドコき・よ・しっ!



地域自慢の折原さんの歌が続きます。プロ顔負けの美声が体育館いっぱいに広がりました。



流れ者のおじさんが新曲披露した。



最後はやっぱり花笠おどりです。玉野地区生まれの原田流で笠が舞いました。




一年以上を経てこの式典が実現しました。


ですがこれからが始まりだと思います。


交流は大変なことと思われがちですが、主旨もわからず無理をしようとするからそうなるのだと思います。


お互いの文化を共有することで初めて自分を知ることができます。喜びを共感することができます。子どもたちに閉鎖感ではなく広がりを伝えることもできます。


暮らすことの楽しさも発見もそこから生まれるのではないでしょうか。






公民館や市役所のひとたちの働きかけ、それに応えた玉野のひとたち。


そしてなにより共感してくれた西小野田のひとたち。


なにか一つが欠けてもいけない。今回はそんな繋がりを見させていただきました。



そして外部との交流は地区や集落内部のひとたちの交流にもなることを教えてもらいました。




これだけのひとが関わっていたんだと気付かされる写真です。








そして最後にこれが母袋のひとたちです。ぼくの大好きな写真です。





この先もずっと玉野と西小野田の交流は続きます。


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