▼森光子の魔力2012/11/15 14:13 (C) 珈琲豆屋です!
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森光子が亡くなった。最後までトップスターであり続け、若干老醜を晒したとはいえ、十分見事な最期であったと思う。
以前戦後の米沢の興行を米沢新聞から抜き出して、ノートに写していたことがあった。
戦後すぐにはフィルムなどがなかったため、映画人などは随分ドサ回りをしたらしい。その中に森光子の名前があった。
ノートは手元にないのだが、多分昭和20〜21年ころだろう。
大映スター 歌手 森光子
と書かれていたと思う。
以前戦前のジャズマンが昭和の終わりごろオールドボーイズというバンドを結成、そのときゲストとして出た森はシナトラで有名な「国境の南」を歌っている。
進駐軍を回ってジャズ歌手みたいなこともしていたようだ。
その前はミスワカナの子分であり、初代がヒロポン中毒で急逝後、2代目襲名も噂されたと思う。
生年が大正9年(1920)と一緒のミヤコ蝶々もワカナの子分だったこともあった筈だ。2人の関係などはどのようなものであったのか、興味深いところだ。
大阪に民放が出来て、朝日放送専属でダイラケのびっくり取物帳で、ダイラケと3人漫才をやったりしたあたりから人気が出始める。
この当時藤田まこととの共演も多く、芸人の子であること(森は嵐寛寿郎の姪)、漫才、司会、歌手など役者になるまで幾多の道のりを経てきているなど共通点も多い。
何となく芸風も近いものがあるのではないだろうか。シリアスとコメディの境目がないようなところと、関東弁も関西弁もいけるところが。
そして東京にでて、皆さんご存知の「放浪記」になるわけだが見たことがないので、私からみた代表作は「3時のあなた」と「時間ですよ!」となる。
ドリフとの共演も多く、一時はTVのコメデェンヌは森光子一手販売の時代もあったと思う。
そしてジャニーズとの競演はどのようなことをやっていたのだろう。ジャニーズファンはどう見ていたのだろう。
結構ミステリアスな森光子さんのご冥福をお祈りします。