▼被災地ボランティア−石巻市 鮎川−2011/08/29 15:00 (C) 置賜文化創作アルバム
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被災地ボランティア−石巻市 鮎川−
こんにちは編集員です(^^)
今回は、置賜文化フォーラムの所在地でもある
「米沢市」の地名の由来です。
米沢は多くの川や“沢”の水が流れ、
沢山の“米”が収穫出来る土地であることや
一説には、城の近くから米のとぎ汁のような
白い水が湧き出て、その場所を「米井」と呼び、
転じて『米沢』になったと言われているそうです。
米どころならではの地名ですよね!
現在のように牛が有名だったら、「牛沢」とかに
なっていたかもしれませね〜(笑)
では、本題です。
編集員は「やまがた若者キャラバン隊2011」という県と山新観光が
主催し、10月にフェリーに乗って名古屋に行き、山形のPRをして
来るという企画に参加しております。
10月の本番を前に、3回の事前研修があり、参加者を5つの班に分け
班ごとに山形のPR方法を考えたり、同じ東北人として、被災地の
現状を伝える為にボランティア活動をしたりします。
その被災地ボランティア研修に8月27日(土)に行って参りました。
場所は、宮城県石巻市鮎川(牡鹿半島の先)です。
ニュース等で、被災地のことは分かっているつもりでした。
しかし、本当に分かっている“つもり”だったことに気づきました。
震災から5カ月経った被災地は、色々な意味で『凄い』の一言に
尽きるものでした。
跡形もなく崩れている建物があったり、
建物の形を残していても大きく傾いていたり、
積み上げらている瓦礫の山があったり、
壁には、ここまで水位があったのだと分かる潮の痕がありました。
でも、一番『凄い』と感じたのは、少しづつでも復興に近づこうと
頑張る地元の方と、それを支援する人々の想いです。
石巻の商店街にある精肉店では、肉の出荷停止で商品が入らず、
それでも、地元の人に何か食料を届けたいと、野菜の販売に踏切り
大変、喜ばれているそうです。
また、石巻市社会福祉協議会ボランティアセンター・牡鹿サテライトで
代表を務める遠藤さんは、関東で経営していた会社を休眠させ、
ボランティア活動を行い、しかも、私財をなげうって活動拠点である
公民館を修繕したりしているそうです。
被災地の方は前向きに今を生き、ボランティアの方は、それを
同情や憐みなどではなく、心から支援したいという想いで活動して
いました。
編集員の拙い文章では、現地の様子が1/10も伝わるか分かりませんので
ここで、少し現地の写真をご覧下さい。
●石巻市内
●石巻市内の建物
●奥に建っているのが石巻市立病院前です。
病院の前はまるで戦地のようです・・・。
●石巻市の学校
●石巻市内の寺院
崩れた建物と墓石が無残にも倒れている墓地です。
●道の真ん中に大きな大和煮の缶詰(レリーフ)が倒れていました。
●鮎川
●太平洋
この海が、町を飲み込む程の津波を生み出したとは思えない位
穏やかでした。
●牡鹿サテライトの講堂で、3月11日に現地を襲った津波の様子を
収めた映像を見ました。
●ボランティア活動を行った鮎川の漁港
●捕鯨センター跡地で瓦礫撤去
如何でしたでしょうか?
編集員は、震災後、募金活動をしたり、支援物資を集めたりと
地元で出来る支援をして来ました。
しかし、ただ何となく一方的(自己満足的)な支援だった気がします。
今回少しの時間ですが、被災地に行ったことで、
現地のニーズにあった支援が必要なのだと思いました。
同じ東北人、同じ日本人、同じ人間として、お互い様の気持ちで
支えあって、少しでも早い復興を目指しましょう!!!