▼☆今年のお盆☆2011/08/12 09:52 (C) 日々の想い
▼住めば都と言うけれど住めば都と言うけれど
俺は違うと思う。 住んだ場所を都にするのは住んだ人の意志であると・・・。 俺は山形の生まれではない。 郷里への哀愁もある。 が、住んでいるのはここ、高畠。 住んだら都にするのは俺の意志、受け身ではいつまでも都に感じる事はないのかもしれない。 いつか浪江に戻る日を迎える事が素晴らしい事であると願いますが、今ある今日を、ここを例え仮の佇まいとしても、都に変える勢いで。私たちは、そんな誰もの意志を受け入れる民であろうと願っているのだと思います。 東の方角に向かい黙祷をした。 心ばかりではありますが、憂い、復興を願います。 私たちはともにあります。 2011/08/12 20:15:kuma仙人
▼確かに…こんばんは、kuma仙人さん。
あたたかいお言葉、ありがとうございます。 都にするかどうかは、自分の意志次第…確かに、そうですね。 いつまでも、後ろ向きでは、いられないですね。 それから、私達家族は、仮に浪江町が、警戒区域解除になったとしても、今後浪江町に住む事は、考えていないのです。 やはり、放射線の事を考えると、まだ小さい子供もいるので、いくら国が大丈夫と言っても、これまでの政府や東電の対応を見ていると、安心して今までのように、住む事は出来ません。 なので、借り上げ住宅を決める時に、私達なりに覚悟を決めて、娘達の進学問題もあるので、移動を繰り返さない為にも、就職活動も視野に入れての引っ越しでした。 都になるように、私達なりに 頑張っていきたいと思います。 『ともにある』 心強いかぎりです。 今後も、色々とお話しを聞かせていただけると、ありがたいです。 2011/08/12 22:35:nakamurake
▼あれ?熊殿がいる(笑)
コチラのkuma仙人殿、リアルでも麦がお世話になってるブロガーさんなのです! 2011/08/16 16:40:麦チョコ
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山形市の借り上げ住宅に越してきて、今日で2ヶ月です。
おかげさまで、こちらでの生活にも少しずつ慣れてきました。
今までは、とにかく、目の前の事だけに必死で、何も考える事が出来ませんでしたが、少しずつこの避難生活が、日常生活らしい日々に近づいていくにつれて、今後どうなるのか、私達夫婦は、親として どうしていけば良いのか…不安ばかりが、増えていきます。
先日、私の祖母の命日でした。時期的にもお盆に入りましたが、お墓参りどころか、御線香をあげることも、ままなりません。
お墓もどんな状態なのか、地震後、確認も出来ていません。
あれほどの揺れだったので、墓石などが、崩れていなければ、良いのですが。。
今年のお盆は、こちら山形から、手を合わせることしか、出来ません。
早く、自由に浪江町を行き来できる日が 来ると良いのですが。。。