▼マダリソの思い出 時間を生きる?人と生きる?2010/09/28 19:54 (C) 精のノート
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今日、朝から雨が降っていて、ふと
「ああ、ザンビアだったら2時間は遅れて学校が始まるなあ」
と思い出しつつ、日本がいかにわずかな狂いもなく時間通り動いているかを感じた。
一方で日本人の、時間に縛られた生活を異常に感じたことも思い出した。
ザンビアは悪く言うと時間にルーズである。
というよりも時間というものに関して、考え方が違うのかもしれない。
長距離バスに乗る時、7時出発とは言ってもだいたい9時や10時に出発する。
日本でバスや電車が2時間も遅れたとなると大問題になるだろう。
人々は怒り、この時間をどうしてくれるんだと苦情で収拾がつかなくなるはずだ。
そして、無駄な時間を「費やした」と嘆くだろう。
まさに、日本人にとって、時間は費用と密接な関係を持っている。
また、日本に帰国した時に異様に感じたことがある。
乗客がそれぞれが携帯を手に、機械とにらめっこ。
人々が同じ空間にいるのに、それぞれが携帯とにらめっこ。
まるで周囲の人と異空間を生きてるかのよう。
ザンビアは違った。
バスが2時間遅れようと3時間遅れようと何てことはない。
銀行などの長蛇の列もなんのその。
隣り合わせになった人との楽しい会話の時間となる。
だから誰も文句を言わない。
僕もよく隣に座ったザンビア人と出発前、いや出発してからも色んなことを話した。
老若男女問わず至る所で会話の花が咲いている。
ちょっと隣り合うことが出会いの空間となる。
時間は費やすものではなく、「生きる」もの。
人はバラバラに存在するのではなく「共生」するもの。
同じ「生きる」という行為をしているのに、違う「生き方」をしているなと感じた。
僕はやっぱりザンビアンライフがいいらしい。
写真は長距離バスターミナルで出発前にバス会社の社長と談笑