▼舟運の歴史2009/04/18 18:40 (C) 朝日町エコミュージアム|大朝日岳山麓 朝日町見学地情報
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舟運時代の五百川峡谷は、最上川最大の難所と呼ばれていました。元禄時代以前においては、滝や浅い川底の岩盤のため船の運航ができず、米沢藩の全ての物資の藩外輸送は山越えを強いられていました。元禄7年、米沢藩の御用商人西村久左衛門が、総工費一万七千両(現在で17億円)の巨費を投じて五百川峡谷の難所を開削しました。平成19年、佐藤五郎氏により30kmにわたる西村久左衛門が掘削した舟道遺構の存在があきらかになりました。
若月啓二さんのお話
→五百川峡谷開削の歴史
横山昭男さんのお話
→最上川舟運と五百川峡谷
佐藤五郎さんのお話
→五百川峡谷の舟道遺構
花山傳夫さんのお話
→花山家の船曵き絵
→ガイドブック『五百川峡谷』
→五百川峡谷の魅力
→五百川峡谷エリア