▼第一回白い紙ひこうき大会 (安藤竜二)2004/07/18 22:07 (C) 木造校舎大暮山分校 白い紙ひこうき大会
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山形県のほぼ中央部、最上川沿いに走る国道287号線朝日町真中交差点を、秋葉山という小さな三角山の山裾に合わせるように道を折れ、まっすぐな一本道を西へ車を走らせます。広い水田に囲まれた大谷集落を抜けると、左手に馬神ダムが現れ、まもなく車道は急に狭くなります。やがて小さな砂防ダムを挟むような分かれ道に出ますので、ここを右に折れます。 国道からここまで10分程。村に入り、万福寺を右手に過ぎると、途中一軒だけ酒や食料品を扱う小さな店があって、私は時々、目的の場所でのんびりするために、ここで缶コーヒーや紅茶を買います。その店の前の丁字路を右に登り、木造の古い小さな消防ポンプ庫と、八幡神社のこま犬の所の分かれ道を、 最後に50メートル程左に登ると小さな広場がありますから、車はそこに止めます。車を降りるとすぐに、入口の太い藤つるに目がいくでしょう。その迫力と、頭上を覆うように葉を繁らせてる様子は、まるでこの場所の歴史を誇示するかのようです。その藤棚の下の坂道を30メートル程登れば、いよいよ目的の場所です。
前を見上げながら、そして何も変わっていないことを祈りながら、一歩一歩登っていくと、やがて赤いトタン屋根の角がてっぺんの方から見えてきます。そして坂を登り上げるとそこには、百年以上の歴史を持つ木造校舎が、ポツンと時代に取り残されたように、しかし堂々と、今でも大暮山の人々を見守るように建っています。ここは昨年の夏、さまざまな思いを胸に開かれた「白い紙ひこうき大会」の会場、大谷小学校旧大暮山分校です。
(大暮山分校との出会い)
事の始まりは6年程前。校舎の壁の中に営巣している二群れの スズメバチの駆除を依頼され、下見に訪ねた時のことでした。一周100メートル程の小さなグラウンドを囲むように、正面に二階建ての木造校舎、右側に体育館、左側は4コースの 25メートルプール。木の格子窓の歪んだガラスはピカピカに磨かれ、一枚一枚別の風景を反射させていました。けっしてお金をかけた作りではありませんが、その均整の取れた姿、 古さ故の傷み具合に、私は身を低くしたくなるような威光を感じました。今はない私の学んだ木造校舎のことを思い出したことも、大きな一因だったのでしょう。私は大暮山分校に一目惚れしてしまいました。
数日後の早朝。前夜に終えていた駆除の残骸を片付けるために、また分校を訪ねました。校舎脇の体育館と繋がる一段低い屋根に登って、グラウンドをぼーっと見下ろしていると、小学生の頃の懐かしい思い出に紛れ、ふと高校時代のエピソードが頭をよぎりました。
それは2年生の休み時間のこと。三階の教室の窓から、校庭に向かって飛ばした私の紙ひこうきが、たまたま気持ちよさそうに飛んだらしく、それを見たニ階の3年生達が飛ばしはじめたのです。さらに、それを見ていた四階の一年生までも。みんなでやれば恐くない。もちろんクラスメートも飛ばしはじめ、中にはカレンダーの最後の12月を 破って巨大なひこうきを飛ばす者までいました。校舎の下には、白い紙ヒコ−キが何十機も散乱していました。それはそれは楽しくて気持ちいい一時でした。
分校の屋根の上で私は、悪戯な気持ちをまたムクムクと膨らましていました。
(紙ヒコーキを、誰が一番気持ちよさそうに飛行させることができるか!)
タイトルは「白い紙ヒコ−キ大会」。
でもその時は、まさか本当に開くことができるとは思ってもみませんでした。
(閉校そしてはじまり)
それから4年後の一昨年。悲しいニュースが伝わってきました。
分校は、児童数減少と本校舎新築に伴い、閉校することになったのです。それは同時に、校舎の取り壊しを意味しています。すぐに関係する町の職員にたずねると、悪化する財政の中ではやむを得ないと。成す術も見つからず、がく然とした思いを胸に、月日は流れました。そして昨年、平成11年3月、大暮山分校は長い歴史に幕を下ろしました。外は、 大暮山地区民の気持ち、校舎の気持ちを表すかのように、季節外れの大雪が降っていました。
思い掛けない朗報が舞い込んできたのは、桜咲く翌月。なんとわが町の財政は益々困難を極め、今年度は取り壊しの予算がつかなかったというのです。
(大暮山分校は、なにはともあれ1年は存在する。もうこの夏しかない)
私はついに、 開催を心に決めました。
熱くなった私は、すぐに仲間探しを始めました。しかし、あまりにもイメージ先行のイベントのため、 理解を示して下さる人はなかなか現れず、思いがけず私は初めから途方にくれてしまいました。焦りに焦った5月。そんな私の心を諭るかのように 希望の手紙が届きました。それは、「おもしろ塾」からの本年度事業計画会議のお知らせでした。「おもしろ塾」はわが町の中央公民館事業の一つで、町の若者たちが面白そうなことについて、自分達で企画、立案し、実践するといった、三十才代までの若者で構成する団体です。しかし、私はすっかり幽霊塾生だったので、昨年のうちに退塾願いをみんなに告げてしまっていました。駄目で元々、頭をかきかき、恐る恐るイメージを話してみました。すると、「映画のような映像にも残したいね」という映画好きな女性メンバーの 一声とともに「写真もいい」「かき氷りもやろう」「金魚すくいも」「ポスターをクレヨンでも描こう」思いがけず場は盛り上がり、 具体的なアイデアがたくさん上がったのてず。頃合いを見て、まとめ役の塾長が、にこにこと「やるべ」と声をあげ、開催が決定しました。
さっそく大会に向けた準備が始まりました。まずは、校舎前の花壇に ひまわりの植え付け作業です。草だらけの花壇を整備するのは思ったよりも大変でしたが、担当の職員が作ってくれた美味しいおにぎりに励まされました。塾長の愛車の旧式ランクルが妙に校舎にマッチしていることも嬉しかったです。驚いたのは、校舎がずいぶん年老いて見えたことです。閉校してたった二ヶ月程なのに、埃がたまりガラスは輝きをなくしていました。気掛かりな事はもう一つありました。閉校式の時にぬかるんだグランドに敷いた青い砕石。玄関まで一直線に、まるで神社の参道のように見えてしまい、グランドのイメージがなくなってしまっていたのです。
検討会議は、前例のないイメージ優先のイベントだけに、何度も 何度も開きました。木造校舎、ピカピカのガラス窓、ひまわり、青空、 蝉時雨、運動会用のテント、出店、麦わら帽子、すいか、笑顔。そして算数のテスト用紙で作る白い紙ヒコーキ。
あたかも映画のワンシーンを切り取ったような 「あったかくて、やさしくて、懐かしくって、ちょっと切ない」 そんな大会をめざすことになりました。「教室の窓から飛ばしてしまえ!」という悪戯なキャッチフレーズも提案されました。
3月まで大暮山分校内にあった保育所の保母をしていたという強力な助っ人も現れ、知らなかったり思い出せない校舎の詳細などについて、度々教えていただくこともできました。
欠かせないひまわりの水やりは、大暮山地区の子供たちが請け負ってくれました。ポスターは、写真の得意なメンバーらが、実にぴったりの写真を撮影してきてくれました。それは校舎独特の格子窓を前に、メンバーの女性が紙ヒコーキを手に飛ばそうとしているもので、その写真を見ていると、飛ばしたいけど飛ばせなくているようにも見え、その続きが見たくなるような不思議な一場面になっているのです。早速パソコンの得意なメンバーが構成し、安価なA3カラーコピーによる 素敵なポスターが出来あがりました。手分けして、町内はもちろん町外にもたくさん掲示しました。
8月に入ると、にわかに準備作業が忙しくなりました。嬉しいことに、 一年前に旅先で知り合った学生が、原付きバイクで東京からやってきて、大会当日まで手伝ってくれました。頭を悩ましたのは、メインの大きなタイトル看板です。限られた予算の中ではとても業者には頼めません。みんなで思案していると、年賀状をいつも墨字でアートぽく書いているという女性メンバーの名前が浮上しました。しぶる彼女が、大判の障子紙に書いてくれた「白い紙ひこうき大会」の字を見て驚いてしまいました。字体が大会のイメージをみごとに表していたのです。
前日は、道案内の掲示板を設置し、校舎の大掃除、ガラス磨き、グラウンドの白線引き、テント設営、音響機器のチェックと、忙しさは絶頂になりました。工場に勤めているメンバーがトラックを借りてきてくれたり、電気工事をしているメンバーは見事な手さばきで 配線を直してくれました。町の高校生ボランティアOBやその友だちも飛び入りで手助けに来てくれました。
嬉しかったことがありました。地区の方が、重機を持ってきてグランドの青い砕石を取り除いて下さったのです。校舎もあきらめていたグランドも甦り、嬉しくなりましたが、いずれ取り壊されることを思うと、なんとも複雑な気持ちになりました。
最後に、校舎正面の二階の窓枠の上に、あの障子紙でできたメインのタイトル幕がかかげられました。いよいよ明日は本番です。
(大会当日)
早朝、雨の音で目が覚めました。窓の外は激しい雨と真っ黒な雲。ラジオのローカルニュースは、土砂崩れや電車の運休をさかんに知らせていました。昨日までの心の盛り上がりが嘘のように沈んでしまいました。いても立ってもいられなくなり、塾長に電話をかけると、「参加者は減るだろうけど、濡れたり、汚れたりするのは我々だから、 まずやってみるべ。それにやむかも知れないし。」思ったより楽観的な返事に少々とまどってしまいましたが、よく考えると それもそうだなと少し心が落ちついてきました。なにしろここまで頑張ってきたのだから、しかも最初で最後のイベントなのだから、いい結果にならないはずはない。私の萎えてしまっていたプラス志向もやっと復活してきました。
そして、塾長の予想は見事に当たりました。空が明るくなり小雨になってきたのです。分校に出かける頃にはほとんど止んでしまいました。信じれない現象でした。分校に行って私はさらに驚きました。グランドが全然ぬかるんだり、水たまりになっていなかったのです。もしかしたら、ここだけ殆ど降っていなかったのかも知れません。私は、大暮山分校が雨を追いやってくれた気がして、思わず校舎を見上げてしまいました。あとで聞いた話ですが、どうやら山形県内で雨が上がったのは朝日町だけだったらしいのです。
「キンコンカンコン…」
準備中、突然、校庭になつかしいベルの音が鳴り響きました。悪戯好きなメンバーが、放送機材の気になったというボタンを押したのです。おまけに、続いて集落中に聞こえそうな大きな音のサイレンまで鳴らしてしまいました。大慌てはしたものの、ベルは大発見でした。大会の始まりと終わりに使うことに即決しました。
商工会に勤めるメンバーは、手伝いに来てくれた友人と受付で得意の会計。審査員は、大暮山区長の阿部喜久三郎さん。そして映画をこれまで数千本見たという映画センターの高橋卓也さんと画家の藤井武さんが駆け付けて下さいました。開始時間が迫り、 参加者が続々と会場入りしてきました。
「キンコンカンコン…。ただ今より大暮山分校白い紙ヒコーキ大会を開催致します。」校舎のメガホン型スピーカーから、 進行係りの澄んだ声が聞こえてきました。いよいよ始まりです。
塾長と大暮山区長の挨拶。私のルール説明。エントリーナンバー001大暮山区長による始球式ならぬ試飛行式。そして競技は始まりました。初めはなかなか飛行距離が伸びなくて心配しましたが、次第に遠くまで飛ぶヒコーキが現れ、その度に「おーーーっ」という長い歓声が上がりました。三世代で分校で学んだ家族や、帰省された家族、 町外からも多くの人が参加しくれました。始め固くなっていた 二階のレポーターも、いつのまにか実に面白おかしいレポートで場を盛り上げてくれました。
子供もお年寄りもみんないっぱいの笑顔でした。気温が上がり蝉時雨も始まりました。子供たちの水やりの成果でちょうどよく咲いたひまわりや、かき氷やラムネの売店は、なくてはならない風景の一役を果たしてくれました。空は最後まで青空にはなりませんでしたが、「だからこそ紙ヒコーキを飛ばすんだ」と妙に納得できました。輝きを取り戻した窓ガラスは、大会の一部始終を 物言わず反射させていました。
白い紙ヒコーキは、気持ち良さそうに校庭の空を飛びました。感動が静かに静かに私の中に満ちてきました。
(2000年5月 通信「ハチ蜜の森から」19号より抜粋)