▼1月18日(月) 小林繁2010/01/18 16:05 (C) 向井の”つれづれなるままに”
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彼とは同郷でしかも年が近かったので気になってはいたが最近はどうしているのかよくは知りませんでしたが、
どういうことなのか福井市内で突然亡くなったというニュースを見ました。
え!と驚きました。
だってまだ57才だったからねぇ。
心不全ということのようですが、どうしたのでしょう。
高校時代はそんなに目立つ存在ではなかったようだったと思います。
プロ野球に入るレベルの騒がれるような選手ではなかったはずです。
それがノンプロを経てドラフトで巨人に入り、あれよあれよという間に独特のフォームで結果をだしエース格までになりましたが、
例の江川事件で巨人から阪神へ移籍。
あの件で彼の人生は大きく変わったのでしょう。
もし、は無いですけど彼がそのまま巨人に居たのならどんな人生だったのかなと思うと、
ちょっと残念です。
別に巨人以外はダメだというわけではありませんが、
現役を引退した後の人生は巨人出身というとかなりチャンスがあるように思います。
マスコミの注目度もかなり違って、別の生き方ができたのかなぁと思いますけどね。
長嶋元監督のコメントで”現場の監督として江川事件での移籍は彼に悪いことをしてしまったという気持ちがいまだに残っています”
という談話が新聞に出ていましたが、
出来れば生きてる時に言ってあげればよかったのになぁと寂しく記事を読みました。
鳥取の田舎で育ち、栄光の巨人に入って(鳥取県では巨人戦しか放映されないのでどれくらい彼が巨人に入ってうれしかったことでしょう)、
どんどん勝ち星を挙げ、優勝に貢献し、
これからという時に江川事件で巨人を放出されてしまった。
どれだけ口惜しかったことでしょう。
でも、彼は一切泣き言を言わないで阪神で22勝をあげました。
現役引退後はたしか大阪でクラブかなんか経営していましたが、
うまく行かなかったようで、
その後の人生では表舞台から去ってマスコミにもあまり出ることも無かったのですが、
今年から日本ハムのピッチングコーチになる予定だったそうです。
いよいよ今までの経験を生かしてプロ野球人生を締めくくる活躍を期待していたのに、
まさかこの歳で亡くなるとは残念です。
彼は福井で少年野球のチームをコーチしていて、
”どんな選手でもプロ野球になれる素質を持っているよ”と教えていたそうです。
彼が恵まれない体格でありながらプロ野球で一流選手として活躍した存在であるだけに、
その言葉に重みがあったのです。
彼の教えた少年野球の選手がいよいよプロ野球で活躍するというところまできたのに、
その活躍を見れなくて残念だったことでしょう。
”小林繁投手”は亡くなっても、
人々の記憶の中に生き続けています。
長い野球人生ご苦労様でした。
活躍する姿を見せてくれてありがとう。
小林繁氏のご冥福をお祈りします。