▼朝日町杉山の雌雄獅子2023/02/21 17:55 (C) 獅子宿燻亭10
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平成11年朝日町杉山の神明神社の依頼を受け獅子頭を制作させてもらった。
この制作も「志藤六郎村おこし基金」制度を活用したものだった。
依頼を受けた当時は、まだ獅子宿を整備中でアトリエにして制作していた。
伊佐沢の郵便局手前に峯田製材所があり、栃の材料を調達出来た。丸太が見つかると親戚の畑に運んでもらい
チェーンソーで獅子頭の荒彫りを行っていた。
モデルの杉山の獅子頭は比較的重く7kgは超えている感覚で、一見して勧進代総宮神社の獅子頭と酷似して
いた。それは「盛助獅子」と呼ばれ横町の総宮神社の黒獅子の蛇頭型とは違い、唐獅子型の獅子と区別される。
いわゆる神社の向拝や拝殿の柱や梁に見られる建築彫刻の様式の彫刻師や仏師が手掛ける複雑な造形の獅子頭
型に近い。
渋谷正斗彫刻 江口忠博塗り
杉山の盛助作の獅子頭は、勧進代の獅子を更に激しくした憤怒の表情で、額から眉間までのうねる様なシワ、
鼻を広げた筋肉の緊張感をより細かく表現しているが、耳の下の巻毛は勧進代の細かい複雑な線彫は纏った
巻毛に彫られ洗練されている。また、上下の牙はより鋭く尖っていて、軸棒の後部の口の開閉の為の勧進代同
様の直線的な開き空間を確保している点が共通している。口の内部や舌は、あっさり彫られ勧進代の様に開閉
(歯打)が少ない杉山の獅子頭の特性を考慮しているかの様である。勧進代の盛助獅子は文政元年(1818年)
頃の作と伝えられ、杉山神明神社の獅子頭が盛助作とすれば制作され200年経過している古い獅子頭という事
になる。
獅子頭内部に修理の記名が残っていた。
「修理 昭和五十五年六月吉日 修理彫刻 小形善四郎」とあった。小形善四郎氏は白鷹町浅立の彫師で昭和9年
畔藤の雷神社の獅子頭を制作している。
その他に「昭和□□・・・・」顎の木口にも不鮮明な記名文字があったが不詳である。
獅子頭を納品し初めての例祭に呼ばれ玉串を奉納し新しい獅子頭のデビューを祝った。あれから24年経過
したが、その後、幾たびか獅子頭の修理を行っている。杉山の獅子舞は獅子頭を腰の位置に持ち、首を前後させ
笛太鼓の囃子に合わせ、左右の足を蹴り上げる様な獅子舞である。
「広報あさひまち」から引用
囃子は白鷹鮎貝系の二曲を獅子舞の位置や動作に合わせて繰り返す形である。獅子頭を制作した際、古老の話で、
以前の獅子幕は長井の獅子舞の様な波模様だったと聞いたので、獅子毛模様の幕を波模様に変更した。
杉山の獅子舞は以前雌獅子があり二頭で獅子舞を行っていたが、人手不足になり雌獅子は途絶えてしまった。
そこで同所の所蔵している民家で拝見させてもらった。
杉山地区某氏所蔵の獅子頭
大型の黒獅子で神社の盛助風の顔付きとは全く違った様式の獅子だった。改めて雌獅子を見てみると、南陽市
法師柳の佐藤耕雲の作風を感じるのだが不詳である。佐藤耕雲の神社彫刻は川西町上小松皇太神社末社の護国神
社にあった。獅子頭は川西町に多く犬川龍蔵神社や飯豊町松原にも見られる。長井市や白鷹には見られず朝日町
杉山に現れるとは意外で、皇太神社や神明神社の伊勢系の神社の神主の繋がりも考えられる。
杉山の獅子舞は朝日町の獅子舞の特徴に倣って、大幕の内部に竹やパイプをアーチ状に曲げた枠を取り付け幌(ほ
ろ)状に膨らませる型である。朝日町史には宮宿の豊龍神社が南陽市宮内の熊野大社の獅子舞を習ったいう説もあ
り、朝日町各地に伝播されたのだろう。
杉山神明神社は時代の流れに逆らえず2021年9月同所 山神社に御神体を遷御され合祀された。