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▼よれよれぼろぼろ

 12月2日でみゆき整形外科クリニックは開院して満19年になりました。
自分が医師になってから35年。10以上の病院に勤務しましたが、医師人生の半分以上をクリニックで働いています。クリニック開設当初は個人医院でしたが、数年後には、当時自分が副院長を兼務していた病院に合併し、その病院の出先の診療所にする予定でした。しかし、わけがあって私がその病院を辞め、みゆき整形外科クリニックを背負っていかなければならなくなりました。私にとっては断腸の思いでした。
その後、白鷹町から今後のクリニックの事業展開を聞かれた時に介護老人保健施設建設について話をしたところ、賛同していただきました。介護老人保健施設は医療法人か、社会福祉法人でないと設立できない法律があるので、医療法人社団聰明会を設立し、介護老人保健施設「白鷹あゆみの園」を設立しました。当初は、まだ気力、体力がありましたので、がむしゃらに組織の維持のために働きました。しかし、体力に自信のあった私も還暦を過ぎ、最近は無理のきかなくなった体を否応なく自覚させられるようになりました。そうなると、自分の「終活」もそろそろ考えなければならない年になったのだと思うようになりました。
「こんな大変な職業(医師)にだけは絶対になるな。」と、3人の子供達には子供達が小さい頃から言い聞かせていたので、3人とも私の言いつけを守り、医師にはなっていません。ですから、私には後継ぎがいないので、事業を血縁のない第3者の医師に継いでもらうか、他の医療法人に引き受けてもらわなければなりません。
まだ今年の事だったと思いますが、NHKで「原発に一番近い病院」が紹介されていました。福島県双葉郡広尾町の高野病院です。そこの院長先生は年齢がたしか82歳で、今も一人で入院患者を診て、外来もされておられます。テレビからは先生が疲れ果てて、よろけて倒れそうになったり、椅子から滑り落ちて転倒し、職員に助け起こされる姿が映し出されていました。特に印象的だったのは、回診時に100歳の入院患者さんが、院長先生に「大丈夫だか?」と声をかけて、先生が「大丈夫だ。」と答えた場面でした。あれは、患者さんが自分の事ではなくて先生を心配してかけた言葉でした。100歳の入院患者が82歳の医師の健康を心配している!その場面を見て、私はたぶん他の視聴者が受けたショックとは違うショックを受けました。「俺も、ああなっても医師の仕事をしなければならないのか。」暗澹たる気持ちになりました。
白鷹町は国も認定する過疎地域でどんどん人口が減っています。人材も減っています。まして医師数はこの20年全く変わっていません(たしか町立病院は2名減っていると思います)。そんな所に後継の医師が来てくれるのはなかなか困難なのです。医療法人は勝手に止めることはできません。地域貢献、社会貢献を目的とし、利益を追求してはいけない組織で、かつ事業の継続が求められる組織なのです。ですから、後継者がいないと私は死ぬまで朝から晩まで働き続けなければならないのです。
厚生労働省はずるい。自分たちは天下りしてうまい汁を吸い、定年後は悠々自適の生活が待っている。一方医師には一生働き蜂のように働き続けることを求める。
何年か前に当医療法人に労働基準監督署の職員の方が、監査だったか指導だったかにおいでになりました。労働基準監督署は定期的にそういうことはしているのでしょうね。その時に、職員の方が私に「職員に残業させてはいけませんよ。どうしても残業させなくてはならない時にはきちんと残業代を払わなければいけませんよ。」と、指導されました。その時私は、「この組織で一番労働時間が多いのは私なのですが、私はどうなるのでしょうか?」と尋ねたところ、「あ、医者は勘弁してください。」とその労働基準監督署の職員の方が言われた言葉が今でも耳に残っています。医者だって人間だぞ(怒)!外来でもよく「医者も病気するのか。」と言われます(私は開院以来自分の病気で休んだことは一度もありませんが)。当たり前だ!
そんな事もあり、国民も国も「医師は馬車馬と同じで死ぬまでこき使えばいいんだ。」と、思っているのだと、私はどうしても穿った見方をしてしまいます。医者になってしまった以上、医療法人を作ってしまった以上、高野先生はじめ多くの立派な先達の先生方のように「よれよれぼろぼろになっても働いて死んでやる!」と開き直っている作今の私の心境です。子供達を医者にしなくて本当に良かった。

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